なんで自分は自分なのか?何故自分は生れて来たのか?生きているのか?哲学と物理

自分の話

哲学的かもしれませんが、自分が小学生の時に抱いた疑問です。

なぜ自分は自分なのか?
なぜいずれは死ななければならいく
死なない傍観者的な神では無いのか?

みんな、本当に自分と同じく自分自身を生きているのか?
それとも、実は自分とは違いそうではないのか?

例えば、この世界が全てただの電気信号的な想像だったとしたら?

例えば、この世界が全て自分の想像であり、
行動もしていない、脳の電気信号のような幻想だとしたら?

ありえなくはないと思います。

この世界が、現実世界であると証明するすべはあるのでしょうか?

香車
香車

そう考えると、この世界の傍観者的視点に立ち
何か、何も怖く感じてこなくないですか?

なぜ自分は世界の傍観者的な神でなく自分を生きているのか?

なぜ自分は自分自身の目で見て
自分自身の意思と手足で生きているのか?

とても疑問でした。

息を止めたらどうなるのか?試したこともあります。

とても不思議した。まるでドラマを見るような永遠に生きる神様では無い自分に。

この生きているということはどういうことなのか?と。

皆さんも同様に感じたことはあるのでしょうか?それとも自分だけなのでしょうか?

【結論】生きているというチャンス

自分はそういった世界を知りたく大学院まで物理学を学び、
最終的には、そういう疑問は抱かなくなりました。

世界はあるように出来ていて
理論はただある現実をそれっぽく合わせた数式にすることしかできない

ということを知りました。

つまり、哲学が先にあるわけではなく、生きている現実が先にあるんです。
どうあとうろと、現実という「ある中」(限られた中、与えられた中)で生きるしかないんです。

そして、何故かはわかりませんけど、

そういう生きるチャンスを与えられただけなんです。

そしたら、そのチャンスを生かすしかないでよね!
それがチャンスかどうかも、楽しいかどうかもわかりませんが、
与えられた中で、面白おかしく生きるしかないんです!

歳をとり、そういう考えになり、すーっと、しました。
「そこには自分はなぜ神様ではないのか?」と哲学的に考える意味があるのでしょうか?

ないです。

みなさん、辛い状況もあるかしれませんが、
与えられた環境を楽しんで生きてください。与えられた環境で最大限楽しく生きるしかないんです。(自分の判断と行動で実はある程度自由にできます。)

尾崎豊の「僕が僕であるために」

そんな疑問を抱いた皆さんに、この歌を送ります。

生きているって、そういう事なんだと思います。
しかたないと思いこまず、もっと自由に!自由な発想で行動しましょう。

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