感動漫画とか(例えば、俺が好きな「Days」)とかでもそうですけど、
- 個人が泥臭く我武者羅に頑張るのはOKですけど
- みんな泥臭く我武者羅に頑張れを強要するのはNGだと
思う。
その理由を語りたいと思います。
個人単位で頑張って頑張って人に感動を与え周りを巻き込む話はOK
この青春・高校サッカー漫画は、「つくし」と呼ばれる普通以下の主人公が、泥臭く我武者羅に走り、その結果が実を結んだり実を結ばなかったり、
無鉄砲だけどその頑張りが周りの人に共感と感動を起こすサッカー漫画です。
俺も実際、感動する場面が何シーンもありました。
この「つくし」の行動はOKです。素晴らしい!
なぜなら、その頑張りが報われても報われなくても個人の責任であり、
無鉄砲だろう何だろうがが個人がそれで良ければ、問題ないからです。
会社にいる無鉄砲にただひたすら全力で全部がんばれと言うリーダーや上司はNG
逆に、この報われないかもしれない無鉄砲な頑張りを他人に強要するのはどうでしょうか?
例えば、俺の会社にいる上司の例です。
- 残業はするな(罰金)
- 来た仕事は全部断るな
- サービス残業はするな(違法)
- 方法はケースバイケースだろ(無策)
という指示は、正直どうかと思います。矛盾しています。
もっと厳密に言いますと、来た仕事というのは営業支援(受注前の仕事なので、見極める目がないと失注する可能性も当然あります)です。
せめて、策を与えるないし、人員的リソースを確保すべきです。
限られた人員リソースでこの指示と強要はないわ~
無鉄砲な頑張りを強要するという事、たくさんの工数を失注させる可能性があります。
そのリスクと責任をもって発言をして欲しいです。
全部、無鉄砲に我武者羅に頑張れと言うならば、良いけど金払って(対価や人員リソースを確保しろ)から言えです。無駄なリソースを使うだけの。
これは全然、感動を与えません。むしろ、給与払われても不満です(所属する組織的に結果出ないし)。
もしくは、指示する本人が我武者羅に頑張り、周りを感動させ、周りが自発的に動くようにするべきです(結果も見返りも奇跡も必要だからン実には超難しいけど)。
例えば、バレー青春漫画の「ハイキュー」のように。
まあ、これも俺の価値観だけの話かもしれませんけどね。(普通だとは思っていますけど)
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